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第二章 アルゼンチンタンゴの復興

 1987年はアルゼンチンにおいても、衰退していたタンゴに再び復興の兆しが現れ始めた年でもある。

そのきっかけとなったのは、ブロードウェイで上演されたショー「タンゴアルゼンチーノ」の大成功であった。

外国での成功のニュースがアルゼンチンに入り、衰退していたタンゴが、活気を取り戻す現象は長い歴史の中で何回か繰り返されて来た。

これにはアルゼンチンの経済状況が大きく影響していた。

他のジャンルのダンサーもタンゴを踊り、外国で公演、講習を行う事により多額の収入を得る事が出来る魅力に惹かれ、

タンゴダンサーに転向しブームを煽った。中には、ショーとして振付けたものは踊れても、

アドリブで踊るサロンスタイルのタンゴは踊れないというダンサーが出現し、タンゲーロス(アルゼンチンのタンゴ愛好家達)を嘆かせた。

しかし、このダンサー達もミロンガ(ダンスホール)に通い、年配のタンゲーロの踊りからタンゴの真髄を吸収し、

タンゴダンサーとしての資質を磨いていった。と同時に、この時期は踏風にも大きな変化が現れて来た。

古くから踊られている古典的なスタイルに、若いダンサーが既に身に付けていたバレエ等のテクニックがミックスされ、

新しいスタイルのタンゴダンスが誕生して行った。舞台で踊られるスタイルは後者のタンゴが主流を占めている。


 私はこの年に2回渡亞した。最初に行った1月にはレコード店の奥の方に、ひっそりとタンゴが並べられてあったが、

2回目に行った9月には、どのレコード店に行っても、店頭の一番目立つ所に多くのタンゴのレコードやカセットが陳列してあった。

またミロンガに行っても、若い男女を多く見かけるようになっていた。

その上、日本からのタンゴ留学は私だけであったが、ヨーロッパやアメリカからのタンゴ留学の人達が多く来ており、

僅か半年で大きな変化を遂げたタンゴの姿に驚くと同時に、古い時代と新しい時代の両方を体験出来る幸せを感じたものであった。


 また、これまでのタンゴショーの構成は、音楽が主でダンスと歌はそれに付随するものであった。

その構成に大きな変革をもたらしたのは、先程も触れたショー「タンゴアルゼンチーノ」であった。

今までの形式を打ち破りダンスを中心に構成し、ダンスの持つ魅力を前面に打ち出した初めての試みであった。

これが大成功を納め、新しいタンゴファンが急増し、各マスコミもこぞってダンサーのみをスターとして取り上げ、

アメリカやヨーロッパに一大センセーションを巻き起こしていった。

これを境にダンスを中心にしたショーが数多く誕生し、タンゴの新時代の扉を開けて行った。

これまでのタンゴ発展の歴史は、タンゴ誕生の時点ではダンスの伴奏音楽であったが、

その後、音楽家達がダンスから離れ、血の滲む努力を重ね、世界にタンゴ音楽を広め認めさせていったのである。

そして、世界に名声を博した芸術家が、この音楽家の中から幾人も出現して行った。

タンゴが120年に亘り発展し続けて来られたのは、たえず新しい曲を生み出し、

限りなく演奏技術を高めて行き、聴衆を離さなかった彼らの努力の賜物であろう。

そのような過程の中、突然ダンスのみが脚光を浴びる出来事に、音楽家達は戸惑いを隠す事が出来無かった。


 タンゴの最大の魅力は、三位一体(音楽、踊り、歌)であろう。

しかし、これを真実の物にするには、舞踊家の精進が不可欠であろう。

技術の練磨はさることながら、人間性を高め、社会人として尊敬に値する人間形成を計るべきであろう。

音楽家に勝るとも劣らない舞踊家の誕生こそ、三位一体を真実のものとするであろう。

舞踊家の人間的な成長を切望するものである。


つづく

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